創学者のこころ ~建学の精神~
- 常に大志(ビジョン)を掲げ、
- 細心の注意を持って大胆に行動する勇気(カレッジ)を育み、
- さらに知性(インテリジェンス)を磨いてほしい。
創学者 金子泰藏
昭和40年1月のこと。一面の桑畑であったこの土地に、金子泰藏は1本の苗木を植えた。
「国際商科大学」と名付けられたその若木が成長し、校名を変更、現在の6学部10学科、大学院4研究科を擁する総合大学「新皇冠体育」となった。創学当時を、創学者の故金子泰藏はこう述懐している。
『私は感じていた。大学の創立は、私に残された最後の使命である、と。土地を選び、教授陣を確保し、必要な図書をかきあつめるため奔走した。キャンパスの工事も急ピッチで進め、学生募集のPRのため、ペンを走らせ、ダイヤルをまわした。
気ばかりあせり、1日が瞬く間に過ぎていった。それから2年後の昭和39年。東海道新幹線がデビューし、西と東の距離を縮めた。今、生まれようとしているこの大学と似ている。世界と日本の距離を縮めるのは人材しかいない。私が育てたい「国際人」こそが、そのコーディネーターになるはずだ。』
(自叙伝『たった一人の寺子屋から』より)
常に大志(ビジョン)を掲げ、細心の注意を持って大胆に行動する勇気(カレッジ)を育み、さらに知性(インテリジェンス)を磨いてほしい。創学者金子泰藏は、リンカーンの処世訓「何びとにも悪意を抱かず、すべての人々に愛情を…」を基盤として「新しい紳士道(ネオ?ジェントルマンシップ)」を謳い、その精神に基づいて「真の国際人」の養成が本学の使命であると訴えました。
本学は1965年創学以来、「公徳心を体した真の国際人の養成」を建学の精神とし、人類の福祉と文化の発展に貢献し得る人材育成に力を注いでいます。
創学者 金子泰藏 略歴
- 昭和2年9月 東京商科大学(現?一橋大学)本科卒業
- 昭和30年10月 一橋学院が準学校法人として認可され理事長に就任
- 昭和40年4月 国際商科大学を創学し学長兼教授に就任
- 昭和46年6月 学校法人一橋学院を学校法人金子教育団と名称変更し理事長に就任
- 昭和59年11月 財団法人金子国際文化交流財団を創立し理事長に就任
- 昭和62年5月17日 逝去
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